人の離婚に関わる仕事をしているいしだたかこも、ご多分に漏れず離婚経験者です。
早いものでいしだたかこが離婚して、もう10年以上になります。
このサイトをご覧いただいている皆さんと同じように、夫と別居後、これからどうしたらいいか悩んでいました。
当時夫は飲酒した際、世間様に迷惑をかける行為を繰り返していました。
離婚して自分の人生を再設計するか、それとも何事もなかったように夫を受け容れて夫婦の生活に戻るか。
元の鞘におさまれば、考えなければならない心配事はすべて雲霧消散、メデタシメデタシ・・・・
しかし、根本的な解決はしていないので、問題の再発は十分考えられる・・・・
そのときにまた同じことを繰り返すだけではないのか、ただの問題の先送りではないのか・・・・
離婚したら一人で生活していけるのだろうか・・・・
住宅ローンはどうなる、住む場所はどうする・・・・
30代も後半、もう出会いもなく一生を一人で過ごすのだろうか・・・・
悩んだ末に、問題を先送りせずにここでけじめをつけておくことを決心しました。
決め手になったのは、自分は仕事をしているという経済的な裏づけでした。
当時は会社員で、管理職に就いていたことも踏み出す勇気になったと思います。
それからは離婚マニュアル本を読み、方針を立て、家庭裁判所への離婚調停の申し出までを勢いをつけて行動に移しました。
夫に対する宣戦布告、挑戦状ですね。
家庭裁判所への申し出後、さすがに1回目の調停の案内が郵便で来たときには「ついに来たか」と緊張しました。
ゴングが鳴って、リングに上がる格闘技選手の気分です。
よし、離婚に向けて方向は決まった!
敵は夫。
夫の家族はセコンドと思え。(やっぱり舅や姑は、わが子である夫を応援しますからねぇ・・・)
一方こちらは実家が離れているので、自分には身内のセコンドは無し。
しかしその分自由に行動できるのが強み、と分析。
ホンネを言うと、家庭裁判所の離婚調停ってどんなことやるのかなぁという興味がありました。
やるからには楽しんで積極的に関わってみよ〜っという好奇心もありました。
「楽しんで」というのは不謹慎かもしれないけれど、一人で乗り切っていくためには、心のよりどころが必要です。
それが、いしだたかこの場合は「好奇心」だったのかもしれません。
ちょっとドキドキしながら、大阪・堺市にある家庭裁判所に行きました。
小さな面会室のような小部屋に、初老の男性と年配の女性が二人座っていました。調停委員です。
1回目の離婚調停は、申立人(いしだたかこ)と相手(夫)のそれぞれの言い分を調停委員が聞くだけなので、調停委員との顔合わせみたいなものです。
この離婚調停には、「クールな大人の女」のイメージで臨みました。
調停委員はレフェリーのようなもの、ヒール(悪役)に思われて損したくはありません。
ちなみに調停室には夫と交互に入室するので、この日、夫の顔を見ることはありませんでした。
燃えてくるのは、双方の言い分が明らかになる2回目からです。
久しぶりに思い出して、ちょっと興奮して来ました。
〜 中編につづく 〜