先日入ったランチのお店は美味しかったのにハズレでした。
そこはチーズ料理を売り物にしているお店で、盛り付けも美しく、味も本格的ながらリーズナブルな価格設定。
でもそのお店には二度と行きたくないと思いました。
料理が提供されるまでのプロセスと、食事が終わった後のシステムがちぐはぐだったからです。
店員さんたちが慣れていないのか、料理の提供順序がばらばらであったり、出来上がった料理をどのテーブルに持って行ったらいいのかわからなくて店内をうろうろして、見ているこちらが心配になってしまいました。
会計の際も、レジでは注文した料理と座っていたテーブルの場所を把握していないありさま。
料理というコンテンツが良かっただけに、惜しいかな、人的サービスの手際の悪さがなんとも残念なお店でした。
でもこの残念さ、結婚生活でも思い当たるフシがありませんか?
「私はパーフェクトに家事や育児に頑張っているのに、夫は認めてくれない」
「妻子のために必死で仕事をしているのに、妻は認めてくれない」
自分の本業を精一杯こなしているのに、なぜかパートナーに理解されない怒りと空しさ。
それって、頑張るところを間違えていないでしょうか?
上述のレストランにあてはめれば「料理は上手いんだから、それ以外のところはどうでもいいだろ」と言わんばかりの一方的な強引さを感じます。
もちろん対価を得て行う行為と、双方の信頼関係の下に行う無償の行為を同等に扱うことはできないでしょう。
でもどんな場合であれ、自分がしたい行為が必ずしも「相手がその時に一番望んでいるもの」であるとは限らないのです。
完璧に家事をこなすより、手抜きしてもいいから笑顔を少し添える方が、相手にとっては嬉しいかもしれません。
収入アップのために休日を返上して働くより、思い切って家族との時間を大切にする方が、英気を養うにはうってつけかもしれません。
結婚生活は日常生活でもあるので、ハイスペックなスキルをパートナーに提供するより、多少のことには目をつぶって自然体でいる方が気持ちにゆとりが生まれます。
そのためにはお互いが相手に高い水準を求めない代わりに、自分自身も「そんなに無理しなくてもいいんだ」と思う必要があります。
無理や無茶は一時的にはできるけれど、長続きはしません。
結婚生活はマラソンと一緒で、長い目で見て結果オーライなら良いのです。
背伸びし過ぎず、等身大の暮らしが幸せの秘訣です。