令和7年度使用教科書展示会に行ってきました。
いしだの子どもの頃と違って、今の教科書はカラフルでイラストや写真、図も豊富ですね。
日本史の教科書をパラパラ見ていて、ちょっとムネアツな2つのコラムに目が留まりました。
一つ目は1945年8月20日「真岡郵便電信局事件」。
第二次世界大戦終結直後、樺太の郵便局に勤務する電話交換手(交換手は全員女性)の職員がソ連との戦闘に巻き込まれて19名が亡くなった事件です。
終戦(敗戦)になったとはいえ、まだ大勢の日本人が樺太に残留しており、ソ連軍侵攻の不安の中、真岡郵便局では電話通信業務が継続されていました。
交換手たちにも引き上げ・疎開指示が出ていたにも関わわらず、ほとんどの交換手が自主的に残留して通信業務を続けたそうです。
やがてソ連軍の砲撃が激しくなり、被弾・自決にて皆さん殉職されました。
銃弾が飛び交う中、最後に「さようなら、これが最後です」とメッセージを残して…。
もう一つは2011年3月11日東日本大震災で、防災無線で避難を呼びかけていて津波の犠牲になった女性職員のお話しです。
これは皆さん記憶にあると思います。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から町民に津波のからの避難を呼びかけて、大勢の町民を救ったまだ若い女性職員。
ぎりぎりまでマイクを握り、残る職員と避難したものの大津波から逃れることができませんでした。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
2つの出来事には、最後まで自分の責任を全うしようとする人間の底力が示されています。
そしてこのように責任感の強い人たちが、ごく当たり前にいらっしゃるからこそ、日本の高度な社会が成り立っているのだなぁ、と感じるのです。
事後だからこそ人命第一で「こういうときはこうすべきだ」「こうあるべきだ」と言えます。
しかしながら戦争や大災害のような究極の緊急事態において、自分はどんな人間性を発揮できるのだろうかと考えざるを得ませんでした。
ちなみに上記のコラムが掲載されていた教科書は令和書籍の『国史教科書 第7版』です。