自分のことを後回しにしても、パートナーや子どもの事をいつも心配し、さまざまな準備をし、あれこれと世話を焼くことに忙しい人がいます。
性格も真面目で几帳面、正義感も強く忍耐強い頑張り屋さん。
でもなぜかパートナーから努力をねぎらわれることもなく、むしろ見下されてしまう。
子どもからはアテにされることはあっても頼りにされない。
「こんなに家族のために一生懸命やっているのに、なぜ自分だけが取り残されるのか」
と嘆く方に共通しているのは、“自分がない”ことです。
自分の価値観ではなく、人から評価されることを目標に頑張ってしまっているのです。
“自分がある=自分の価値観で行動している”人にとっては、評価をいちいち下してあげるということは、とても面倒で苦痛なのです。
ですから「自分の好きなようにしなさい」と人に言われても、自分の好きなこと=人から評価されることなので、堂々巡りになっています。
まずこの負のスパイラルに陥っていないか、自問してみて下さい。
そしてもう一つ、不幸を待ち望んでいる人も取り残され予備軍です。
人生において何か行動するときに、その先に成功があるのか失敗があるのかは分かりません。
大勢の人は成功を期待して、あるいは夢見て行動します。
でも取り残され予備軍の人は、失敗を待ち望むのです。
「上手くいくのであればやってみる」
「やるからには失敗しないように」
「もし上手くいかなかったらどうするの」
「失敗したときのためにコレをしなくちゃ」
というのはすべて失敗する事を前提に、あるいは失敗を期待して人生を過しています。
言霊というコトバがあるように、言葉には霊力や暗示の力が働きます。
マイナス思考の発言をすることで、不幸や失敗を招いていることに気がついていないのです。
失敗は成功への過程の一つであるのに、最初のつまづきをすぐに失敗にカウントしてしまう。
そして「ホラね!」とばかりに自分の予想が的中したことに安堵するのです。
失敗という結論を得たので、もうそれ以上のチャレンジはしません。
すると失敗するのが当然という経験ばかりが残り、成功はするはずがないものになります。
パートナーや子どもがこれから何かチャレンジをしようとしているときに、「やる以上は失敗しないように」なんて条件付きの応援をして、相手の気持ちを萎縮させてしまっていることにも気付いていません。
ヤル気に燃えている人のテンションを下げるのはマナー違反です。
もし「正しい事を言っているのに、なぜか家族から相手にされない」と感じることがあるのなら、自分の言動がハタ迷惑になっている可能性があります。
家族が成功しても失敗しても、その結果はあなたの手柄でも評価でもないのです。
彼らの人生は彼らのもの。
でもあなたの人生は、あなたしか主役になれないのです。